気功は超能力ではありません
遠隔で気功のエネルギーを送って影響を及ぼす、と言うと、魔法のように感じられて、超能力の為せる技ではないか、遠隔気功ができる気功師は超能力者なのではないか、と疑問を持たれる方がいらっしゃいます。気功は超能力ではないと私は考えます。ここではどうして気功は超能力ではないのかを説明したいと思います。
1.超能力とは
まず、超能力かそうでないかを区別するために、超能力とは何かを定義します。超能力を通常の人にはできないことを実現できる特殊な能力、という風に定義すると、遠隔気功は確かにこの定義に当てはまりますので、超能力ということになってしまいます。
しかし、この定義では、例えば100mを9秒台で走る人も、将棋の名人も当てはまってしまいます。トップアスリートや天才と言われる人達は、飛び抜けているかもしれませんが、その成り立ちが私達の通常持っている能力の延長線上にある、と思えるので超能力とは言いません。
ここでは超能力を超感覚的知覚(Extrasensory Perception:ESP)と念力(Psychokinesis:PK)に限定します。この定義の仕方は超能力の定義としては一般的と思います。
ESPは入力系(受取り系)の能力で、PKは出力系の能力です。一般にESPの能力者はPKの能力者を兼ねますが、逆は成り立たないと言われています。ESP系の能力で有名なのは透視とか予知の能力です。こういった能力を持つ人が存在することはTV番組などを通じて良く知られています。PKの能力は意念で物体を動かす能力です。
2.気功は超能力か
それでは、本題の、気功は超能力なのか?という課題に移ります。遠隔でエネルギーを送る能力は出力系の能力です。これが念力に当たるのか?というと当たりません。動かしているものが物理的な実体ではなく、影響を受ける側も物理的に変化する訳では無いからです。
では気功のエネルギーを受け取る能力は超能力でしょうか?
これも上述のESP系の能力には該当しません。正確に言うと、意識を遠隔に存在するものに向ける時、即ち遠くに居る人のことを思ったり、以前訪れた遠くの場所のことを思い出したりすると、その人やその場所の記憶が呼び起こされ、その人やその場所のエネルギーを受け取ることができます。これは、私達誰もが持っている普通の能力なので、超能力とは言いません。
3.超能力を求めない
では気功はどういう能力なのか?
私は人が普通に備えている意識の働きであり、それを自在に使えるように訓練した人が気功師である、と考えています。また、他の記事にも繰り返し書いていますが、祈るという行為は私の目には遠隔気功と同じことをしていると見えるので、人類に共通した、意識の運用の仕方の一つのフォーマットである、と思っています。
気功師にしか気のエネルギーが使えないのでは、気功師でない人が気功の施術の影響を受け取ることもできないはずです。
そして、気功は意識の働きなので、訓練すれば上達可能であることも実地の体験で確信しています。
ESPが「知覚」能力であるので、これも意識の働きです。私達の意識の働きは超能力と接していると言えましょう。ではESPも気功と同様に訓練すればできるようになるでしょうか?
答は恐らくYESと思います。実際、超能力を得るために激しい修行に挑む人は時代を超えて存在します。生まれつき超能力を持っている人に憧れて、その能力を欲しいと思う気持ちも分からないではありません。
ただ、超能力を目指して修行することは私はお勧めしません。理由は、超能力が余りにも突出した能力であるために、それを獲得することで逆に失うものが大きいからです。人間の能力の容量はある程度決まっていて、その容量の中でバランスよく能力を持っていることが社会生活的には適しています。超能力を得ることはこのバランスを大きく崩してしまうので、社会生活に困難をきたすことが多いのです。
気功は上達してもより健康になるといった良い影響はありますが、社会生活に支障をきたすことはありません。この辺りも、気功が超能力とは全く別物であると考える所以です。